2021.05.20更新
『人間関係シリーズ』第3回
自分なんて駄目。いいところなんてない。自分のことが嫌い。と、自分をはなから否定している人は案外多いんですね。
当たり前の言い方になってしまうかもしれませんが、いいところが一つもない人なんているのでしょうか。試しに周りの人に聞いてみてください。
「自分のいいところはどこだろう?」って。もし、それが恥ずかしくて聞けないなら、お互いに聞けばいいじゃない。「お互いの長所を言いっこしましょう」って。誰でも何かは言ってくれるはずですよ。
人間の長所短所は、まったく裏表で、「引っ込み思案」は「慎み深い」という長所にもなる。「ずうずうしい」は「積極的」。「ケチ」だって「経済観念がしっかりしている」。「小さいことにクヨクヨする」も「繊細」、「すぐにカッとなる」も「熱い人」、「小心者」だって「慎重派」とかね。
だから「長所」とかとは言わないで、「自分の持っているものをどういうふうにとらえると、前向きにとらえられるか」というふうに考えればいいのではないでしょうか?
そうすれば、どんなことでも長所になるんです。
そして、その長所をうまく方向を間違えずにのばすためには、親しい人や家族、友達などからアドバイスを受けられるような関係になっておく、ということがすごく大事でしょう。ちゃんと自分の間違ったことを指摘してくれて、まったく傷つかないということはないけれど、その人が言ったことについて受け入れられる、という関係をね。
院長 高橋龍太郎著書 『人生にはしなくてもいいことがいっぱいある』より抜粋
高橋院長のひと言
どんな「短所」でも、考え方を切りかえれば「長所」になります。
人生は、この切りかえがうまくできる人に楽しさをもたらします。
タカハシクリニック 院長 高橋龍太郎
投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック
2021.05.11更新
『人間関係シリーズ』第2回
断れない心の奥にあるものとは。
たとえば他人を傷つけるということが、すごくイヤと思う人。人が善くて、他人を傷つけるようなことをするのはいけないことだと教育を受けて、それをそのまま信じているような思いやりがある場合であれば、それは問題がない。自分がそういう選択をして、しかもそれは自分が広い心でいるんだわという、まあ変な言い方だけれど、ある種の自信に満ちた気持ちの延長線上だから。
でも、多くはそうじゃなくて、逆にまったく自信がなくて、ここでイヤだと言ったら二度と誘われないのではないかとか、他人に不快な思いを味合わせてしまうと自分に仕返しがくるのでは、と恐れてしまう。言ってみれば自分の弱さの表れとして断りきれないという場合は問題になります。
なぜかと言えば、そういう形で自分をふりまわしてくる他人は、自分のことをほとんどこれっぽっちも考えていないということが多いから。そうすると自分は単にふりまわされるだけで、しかも一生懸命自分が相手に不快な思いをさせたくないと思っているという、せっかくの配慮も向こうにはまったく届いていないわけだから、ただふりまわされているだけで、なんの実りもない人間関係ということになります。もし自分がそうだと思ったら、むしろ相手をチェックする意味でも、積極的に断る。断って二度と来なかったらそれぐらいの関係だということだし、断っても次に来れば、逆に言えばそれは自分に対する評価になるのではないでしょうか。
一回や二回断っても、ちゃんと向こうは誘ってくれる、大丈夫なんだということになれば、自信回復にもなるので、是非断ることを学んでほしいですね。
院長 高橋龍太郎著書 『人生にはいらない人間関係がいっぱいある』より抜粋
高橋院長のひと言
飲み会に誘われたら、たとえ人数合わせと分かっていても、前向きにとらえて、特に理由がないときは参加してみては。残り物に福がある、はクジ。はぐれものに福がある、のは飲み会。とにかくメインじゃないところにチャンスがあるのは、人生の鉄則ですよ。
タカハシクリニック 院長 高橋龍太郎
投稿者: 医療法人社団こころの会 タカハシクリニック